ともにするという意識の欠如、あるいはモテ論

何年も前のエントリーをリブログしてざわついたので思ったことを書こうと思う。

"彼女/彼氏がほしい"では何故、ダメなのか

リブログしたエントリーにも書いてあったんだけど
"彼女/彼氏がほしい"は焦り、渇望しかなく相手を対等に見ていないのだ。
逆に"彼女/彼氏がほしい"君(キミ)はできた彼氏/彼女にそう思われていたとして満足なのか?

私は互いに高めあうような関係が

互いに想い合うような関係がほしい。


焦り、渇望、逃避で付き合うようになったとして
よりよい状態でその後を過ごすことが出来る気がしないのだ。




『好きな人を作れよ』→「好きになるような人がいない」

こういうのオマエハナニヲイッテイルンダ?って言いたくなる。
上記のことを踏まえて、「好きになるような人」って何?
顔か?スタイルか?年収か?
そういうステータスが好きなのか?

それで、理想の相手が現れるのを只待ってるのか?

会社行きたくない、仕事したくないと言いながら
理想の相手が現れるとでもいうのかね。


直針で糸を垂らして釣りでもするにしても声のかかる場所に行けばいいのに。
(今の渭水、環境汚染でひどいらしいけど)

愚痴ばかり言ったって誰かから声がかかることは無いとおもう。
一緒にいて楽しそう、面白そうとか思われるようになったらいいのに。
友だちから褒めてもらえる様になりなよ。
そうすればいろんな人と友達になれる。いろんな人が褒めてくれる「モテ状態」を作るといいと思う。

単純な話、マスが大きくなればそれだけ当たる確率も大きくなる。


逃避の当てにされても困る。
前向きに進める人を好きになった方がいいし、ポジティブにありたいと思う。


あ、あと男は「ヤレるブス」っていう領域があるからセックルの誘いにはホイホイついていかないようにね。